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galelry

書道は抽象藝術であり、造形美である。

日本人であれば書を見ると文字を読み意味を知ろうとします。また活字に慣れ親しんでいるので、多種な文字がマスの中に矯正され、

規則正しい字列と行間が美しい文字と理解されている方も少なくありません。

異国人はそういった書の制限から解放されており、造形美、筆触、リズム、布置構造のメカニズムが直接感じ取る藝術性だけが純粋に

残ります。

書道の世界だけ考えると究極には文章を「当たり前のものをあたりまえに書く」ことですが、商業書道などは商品のネーミング、言葉を誇張して伝えることです。

しかし、商業書道を単なるデザイン化された表示だけで捉えてしまうと、矯正された鬱憤から極端な歪みや奇抜な運筆が目立ち、面白さや派手さに傾倒し本来の目的からそれているものも多く、またそれを一時の感情から好むことも事実です。

それでは、わざわざ書と名のらなくても、黒色ペンキに刷毛で十分ことたりてしまうでしょう。

書と名がつく以上、私が思う理想な商業書道とは、ギリギリの比例的均衡の制約の中に技術を生み出し、ユーザ側が求める心理を考慮し一番の目的である飽きのこない書=飽きない商品、また幾度繰り返し見てもその度に新鮮に感じる=商品の既存、が大切であると考えます。

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